スマホが壊れて、暇つぶしのために高いお金を出してるってことに気付いた

小学生の頃から、手持無沙汰な時に活字を探すクセがあります。
おやつの時間にはいつも口を動かしながら、お菓子の箱や包装紙に、クイズや豆知識、おみくじ的なお楽しみが載っていないか探していました。文字が好きと言っても読書が好きというのではなく、暇つぶしにそこらへんに転がっている文字を見つけて読むのが好き、という程度です。

こんなことを思い出したのは、つい先日スマホが故障したから。

私は機械が苦手で、スマホに搭載された機能を使いこなせるだけの知識も必要性も積極性もなく、常に音楽を必要とするわけでもなく、不器用でゲームはできないから、使うのは通話とメールくらい、と言いたいところだけど、電話だって別に頻繁にかかって来る訳でもなし、四六時中誰かとメールするような年頃でもないのですが、先日、何だかスマホの反応が悪いと思ったら、操作が全く効かなくなり、よく見ると、落とした覚えもないのに、画面に小さなヒビ。これではさすがにマズイので、仕方なくドコモショップへ行きました。

くしくも「0円でケータイ」が1月末終了というタイミングで、乗り換えのお客さんで激混み。駐車場に入るのに20分以上待ち、整理券を取る時には1時間ほど待たなければいけないとの宣告。たいしてお得な優待もないのにどこにも浮気せず、大人しくかれこれ20年以上ドコモの餌食になっている(長期契約だからといって特典がないのよね)のだから、こんな時くらい融通してくれてもいいのに、とウンザリしながら何とか待合ソファを確保。

病院やお店での待ち時間、最近はスマホでニュースなんかを見て時間を潰していたのですが、あいにくスマホは故障中(そもそも使えたらこんな所にはいない)につき、置いてある雑誌を読むことに。普段は見ない雑誌を手に取り、ペラペラと興味のありそうな箇所だけを拾い読み。何冊もハシゴ読みするのは久しぶりで面白く、1時間以上の待ち時間も意外にストレスなく過ごせたのでした。が、その時に、私にとってのスマホは、手持無沙汰な時の暇つぶしのツールに過ぎないことに、改めて気づいたという訳です。私にとってのスマホは、小学生の時のお菓子の包み紙、待合室の雑誌と同じなんだと。

交換の手続きをし、代替器を貸してもらい、次の日に新しいスマホを受け取って、一件落着。私はちょっとした時間の暇つぶしのためにスマホを持ち、故障した時の手厚いサービスを受けるために高いお金を払っているのだと思い知る一件でありました。