おばあちゃんの思い出の味、藤田屋の蒸しようかん

「〇〇へ行ったら絶対△△を買って帰る」というルール、結構みんな持ってるのではないか。

ウチの家族にもそんなルールがいくつかあって、例えば昔、母は名古屋へ行く度に、デパ地下で餃子を買ってきた。たまに食べるお土産の餃子は美味しかったけれど、私にとってはそれほど思い入れのある食べ物ではなく、なぜ毎回餃子なのか謎だった。一緒に出かけた時には、帰りの電車で餃子が匂うのが恥ずかしかった。母は匂いの発生源をできるだけ荷物の下の方へ隠しつつ、それでも名古屋に行けば、それが遺伝子に組み込まれた行動であるかのように餃子を買った。逆に、いくら美味しそうな匂いや呼び声に誘われても、餃子以外の商品を買うことはなかった。

学生時代、私が頻繁に買っていたのは、テルミナ地下街(今はゲートウォークって言うんでしたっけ)のパン屋さん、カスカードのコルケンチャ。棒状のパイ生地をひねったような形で、幅広になった両端部分にチョコレートが掛かっていた。クッキーっぽい部分もあり、パンというよりはお菓子で、それがまた美味しかった。食べるとポロポロとこぼれて大変なことになるから、お持ち帰りにして、家で新聞を受け皿にして特大マグカップに淹れたコーヒーと食べるのがお決まりだった。値段の割に大きくて、硬めの食感で食べ応えがあったから、ココで買うのはほぼコルケンチャ一択だった。嫌な授業や課題があると、「帰りにコルケンチャ買って帰ろ!」と自分を励まし、頑張ったご褒美だと言っては頻繁に買った。

 

おばあちゃんの定番は、蒸しようかんだった。
おばあちゃんは知立で毎月21日(旧暦)に立つ弘法様の縁日に、いつの頃からか出掛けるようになった。本家は商売をする家で、おばあちゃんは忙しい伯母さんに代わって、家事全般を担っていた。遊びに行くと、いつも洗濯物を干したり畳んだり、台所に立っていた。そんなおばあちゃんにとって、弘法参りは数少ない楽しみだった。晩年、足腰が弱くなってからは、サポート役も兼ねて母もお供した。混雑を避けるため、のんびりと各駅停車の名鉄に揺られる道中は、母にとっては本家では話せない本音の嫁姑話ができる絶好の機会だったらしい。

その弘法参りで買い、お土産にくれたのが、藤田屋の蒸しようかんだった。白地にオレンジの包装紙に包まれて2本、入っていた。本家でくれる時は、伯母さんに見つからないようにこっそりくれた。母がお参りに同行した際には、母が自分で買うからと言っても譲らず、必ず持たせてくれたという。不思議なことに、このようかんをおばあちゃんと一緒に食べた記憶はない。果たしておばあちゃんがこのようかんを好きだったのかどうかは分からない。

藤田屋といえば大あんまき、だが、おばあちゃんはなぜか毎回蒸しようかんだった。子どもの頃つぶあんが苦手だった私には、こしあんをキュッと固めたような蒸しようかんは、伊勢名物赤福と並んで、数少ない「食べられるアンコ」だった。実際のところ、藤田屋が大あんまきで有名だということは、大人になって初めて知った。

藤田屋の蒸しようかんは、少し塩味があり、歯を入れるとむっちりとした食感。甘みはそれほど強くなく、それがいい。庶民的な値段で買え、気取っていない感じがいい。

出先で売っているのを見ると、買わずにはいられない。その時の食欲や空腹具合に関係なく買う。MOZOに行けばまず藤田屋に向かうし、伊勢湾岸道路を通れば刈谷PAにわざわざ寄って買う。売り切れている時はガッカリ、運よく買えた時は、ペロリと食べられるところを、ケチケチと少しずつ味わう。むっちりとした歯触りを感じながら、おばあちゃんを思い出している。藤田屋の蒸しようかんを絶対買う、という習慣は、知らず知らずのうちにおばあちゃんから引き継がれている。