伯父の死で考えたこと

伯父が亡くなった。

父には3人の兄がおり、亡くなったのは2番目の兄。私が大人になってからは会う機会は少なくなっていたけれど、子どもの頃は、会う度に私の成長に目を細め、面白い話をしてくれる、大好きなおじさんだった。

1週間ほど前に、父から伯父が末期ガンで入院していること、具合があまり良くないことを聞かされたばかりだった。ここ最近体調が悪く、診察を受けたところ、悪性の進行ガンと判明したこと。見つかった時にはもう手の施しようのない状態だったこと。伯父は8年前にガンを克服しており、以後も経過に気をつけていたから、家族の誰もがまさか別の場所にガンが見つかるとは思ってもみなかったこと。ただ、伯父自身は明るく、治療にも前向きだったこと。

話を聞いてお見舞いに行こうかとも思ったけれど、ここ何年も顔を出していないくせに、余命わずかと聞いて押しかけるのも何か違う気がした。昔とは違い、伯父の周りには大勢の孫やひ孫がいる。薄っすらと血の繋がりがあるとはいえ、長年顔を見せてもいない年増の姪っ子に、今さら出番はないと思った。

そんなことを考えつつ過ごしていた時の訃報だった。余命1年だと言っていたのに、1週間前は元気に喋っていたはずなのに。私にとって祖父母以外の親戚を亡くすのは初めてのことだった。

通夜の日、父母は先に会場入りしていたので、妹と会場で待ち合わせた。受付で、私はどう振る舞うべきか分からなかった。私はまだ父母の元にいる娘の扱いだから、香典を出す必要はないと言われていた。この歳で香典も出さずにいていいものなのか、香典くらい私にも出せるのに、とも思ったけれど、こういう問題は、お返しやら何やら相手の負担にもなるし、下手に出しゃばるより言われた通りにしておいた方がいい。嫁ぎ先の家名で香典を差し出す妹を横目に、小さくなって受付を済ませた。妹が、頼もしく見えた。

親族席の末席に座り、読経のあいだ、向かいの親族席の面々を見ていた。私が顔を見て分かるのは伯父さんの4人の子ども、つまり私にとっての従兄弟までで、その配偶者や子、孫になると誰が誰の何なのか、全く分からなかった。私が知る伯父さん一家6人は、今では総勢20人を超える一族になっていた。ネズミ算、と言っては失礼だけど、あぁ、生き物はこうやって子孫を増やして、世代交代していくんだな、これが本来の生き物の姿なんだなと思った。

 

私は2人姉妹で、妹は結婚して3人の子を持つ母となったけれど、嫁いで名字が変わっている。私は結婚もせず子どもも産まず、一応名字を受け継いでいるものの先はない。私の家は、伯父のような大家族を形成するどころか、不肖私のせいで一家消滅の末路を辿ることになる。

子どもの頃は親戚の中でも決して出来は悪くない子どもだったはずなのに、結果的に現在独身なのは私だけだ。あとの従兄弟は全員結婚し、子を持つ親になっている。中には若い頃グレてデキ婚だった者、すったもんだで離婚し、再婚した者もいる。ただ、親戚一族の価値観においては、たとえどういう経緯であろうが、子さえ生まれれば過去の行いは不問になるシステムのようで、少々やんちゃな行いをしていようが、結婚し子が生まれれば「いろいろあったけど立派な親になって良かった」という所に収まる。学業に励み羽目を外さず、優等生のイイ子ちゃんでやってきたはずが、結婚を逃し子孫形成に至らなかった私は、今では事故物件扱いになっている。親戚一族で最も重要視されるのは子孫繁栄で、それは、生物学側面からは正論である。

 

大切な夫を亡くし、身体を支えられないと歩けないほどに憔悴する伯母さんと、微笑む伯父さんの遺影、向かいの親族席で誰だか判別がつかないワチャワチャしている子どもたちをボーッと眺めていたら、涙が溢れて来た。涙の理由は、伯父が亡くなった寂しさももちろんあるが、生物として取り返しのつかない失敗をしてしまった、との後悔を感じたからだった。目の前の大家族には、悲しみの中にも明るい未来があった。

 

昔、伯父は顔を見る度に「結婚はまだか」「親父に早く孫を抱かせてやれ」と言っていた。今にしてみれば、伯父は、小学生相手に「勉強がんばってるか?」と聞くのと同じくらいの感覚で、大人になった姪っ子に話しかけてくれたのだろうし、実際、伯父はそれが一番幸せだと考えていたのだろう。そう思ってみれば、当時は少々鬱陶しく感じた言葉も、今となっては懐かしい。

40を超えると、もう誰からも「結婚はまだか」とは言われない。言われないけれど、ジワジワとその意味を理解するようになる。死を意識するようになると、生き方の価値観とやらの奥に隠れた、生き物としての本能の部分で、その言葉の正当性に気付く。