1か月近く前、会社宛のお中元に沖縄産のマンゴーをいただいたのを、私が全部一人占めして貰って帰ったことがあった。
誰にもお裾分けせず、1個ずつ夕食代わりに食べた。甘く柔らかな果肉に舌鼓を打ちながら、マンゴーはスーパーで安いのを買うものではなく、いただいた高級品を食べる果物だと思った。
そんな極上マンゴーだったから、種さえ捨てるのが惜しい。「そうだ、これを育ててみよう」と思い、硬い殻を剥がして種の中身を取り出し、水に浸けておくことにした。もしかしたら美味しい実がなったりするかも、なんて上手いコトにはさすがにならないと思いつつ、どこかでそんな期待もしながら。
種を植えるのは、これが初めてではない。ベラダでは現在、3年前の沖縄旅行で買ったシークヮーサーの種を植えた鉢が3つある。昨年の沖縄旅行ではアセロラを買い、その種も植えてみたが、これは失敗した。
私にとって種を植えることは、「楽しかった」「美味しかった」という体験を、なんとか引き伸ばしたい、形に残したい、という貧乏性ゆえの行動だが、芽が出るとそれはそれで嬉しいものだ。女が子どももペットも持たずに生きていると、何かしら育てたくなるのかもしれない。
さてマンゴーの3つの種、真夏の室内環境は発芽には適さなかったのか、1つは根も出ずそのまま変色し、1つは根が出て芽が出るところまではいったものの、そこで種が腐ってTHE END。残る1つは、根が出てからなかなか芽が出ず、半分諦めかけていたところ、ようやく細い芽がヒョロリと出現!弱々しいながらも、少しずつ大きくなっているのを確認するのが、目下帰宅後の楽しみになっている。
律儀に観察記録を残すほどのマメさはなく、水を替えるのが精いっぱいだが、こんなことに一喜一憂する暮らしが気に入っている。自分では、結構リア充な生活を送っているつもりなのである。