最近の芸能ニュースに思うこと

スマートフォン

年が明けてから、やけに芸能ニュースが過熱している。
ベッキーの不倫疑惑に、SMAP解散報道。どちらもホントなのかウソなのか分からないことまで、様々な記事が日々更新されている。どちらに対しても熱心なファンではないので、「いろいろ大変だろうなー」くらいの感想しか持たないのだけど、それでもゲスの極み根性とでもいうのか、野次馬的にネットニュースを閲覧してしまう。

SMAPとは同世代だけど、自分がかつて夢中になったのは光GENJIだったので(それも中学のうちのほんのわずかの期間だけど)、SMAPにアイドルとしての憧れはなく、5人のうちの誰が好きとか嫌いとか、そういう見方もしていない。「40過ぎてアイドルって…」と割と冷めた目で見ていたつもりが、それでも「SMAP解散危機!」と聞いて「マジッ!?」と反射的に叫んでしまったのも事実で、SMAPってスゴイんだな、とこんな時にその偉大さを認識した。

ところで気になるのが、両者の「言葉」に対する世間の向き合い方。
SMAPの謝罪会見に対しては、各々が発した言葉そのものよりも、表情やしぐさ、服装から、言外に隠された真相を読み取ろう読み取ろうと努力しているのに対し、ベッキーのLINEの文章(第2弾の方ね)は、言葉そのものを彼女の本心(本性)として受け取っている。両者の「言葉」の読み取り方に、ずいぶん違いがあると感じる。

みんな、LINEで本心をさらけ出しているのだろうか?
そもそも、LINEでの会話内容がある日突然流出して、全く問題ない人なんているのだろうか。
非公式でプライベートな会話でも、いつも公序良俗に沿った正しい発言をしているのだろうか。
「こいつウゼー」と思う相手に、事務的に笑顔のスタンプを送ることはないのだろうか。
ホントは助けて欲しい相手に、「全然大丈夫!(笑)」と平気を装うことはないのか。
いい人と思われたかったり、つきあい上仕方なく相手に合わせたり、大事な人を心配させまいと平気なフリをしたりして、本心なんてそんなに簡単にさらけ出してないんじゃないのか。

両者のニュースに関しては、前提条件として「人としてどうなのよ」という尺度が入り込むので、世間の目が厳しくなったり同情的になったりするのは当然だとも思うけれど、私はベッキーのLINEの文を見て、彼女が実は腹黒い女じゃん、とは思えず、むしろこれから自分が批判にさらされるという現実を前に、精一杯強がり、悪ぶって、自分を鼓舞しているだけのように思えた。もちろん、そんなのは私の読み違いで、本人は本心をそのまま素直に文章にしただけかもしれないのだけれど。

しょせん他人事だし、自分が裏切られたわけでもないし、糾弾するにしろ応援するにしろ、そこまでの熱量が湧かないのは、誰にも肩入れしていなかったから、というだけで、もし私が誰かの熱狂的なファンだったら烈火のごとく怒り狂っているのかもしれない。けれども、必要以上の熱量で「悪者」をこらしめようとする世間の風潮が行き過ぎなような気もするし、そもそも公平な判断基準を持ち合わせていないような気がして、ちょっとコワイなーと思う今日この頃です。