朝ドラ「わろてんか」の楽しみ方

ここ数年、朝はNHKの【連続テレビ小説】を観るのが習慣になっています。

とは言っても、朝はギリギリまで寝ていたい、でも朝食はしっかり摂りたい、明日できることは明日やろう、というどうしようもない性格なので、私の朝は忙しい。1分たりとも時間に余裕はありません。当然落ち着いてテレビを観ることは不可能なので、時刻表示をストップウォッチ代わりに、音声をBGM代わりにして、ドタバタと移動しながらチラッと画面に目をやる程度の話。

毎朝そんなありさまだから、朝ドラが面白いと困るんです。手が止まり、足が止まって、準備が滞ってしまうから。録画すればいいんですが、目の前で面白い展開になると、つい観ずにはいられなくなってしまうのです。という訳で、4月~9月の【ひよっこ】放送中は、いつにも増してバッタバタの朝でした。

10月から【わろてんか】が始まって、朝に余裕が生まれ、9月までとは打って変わって準備が楽にできるようになりました。ってことはつまり、あんまり面白くないんですよ。というか全く面白くない。好きな俳優さんが出てるのに、全然。登場人物が大笑いしていても、観ている私はクスリとも笑えない。「わろてんか」ってタイトルなのに。「日本中を笑いでいっぱいにしたい」とか言ってるのに。

ところで、朝ドラって当たり外れが大き過ぎません??
私の場合、【ゲゲゲの女房】以降のドラマで「当たり!」だと思ったのは【カーネーション】と【あまちゃん】と【ひよっこ】。「可も不可もなし」なのが【てっぱん】【おひさま】【花子とアン】【あさが来た】。あとは「ちょっとあんまり…」って感じ。その中でも「もうこれは無理!」なのが【梅ちゃん先生】【ごちそうさん】【まれ】【とと姉ちゃん】かな。

同じNHKで、おそらく莫大な予算をかけて制作するのに、どうしてこんなに違うのでしょう?たとえおそまつな脚本が出来上がってきたとしても、その後修正するなりできないんでしょうか?制作陣は「普通そんな不自然な展開にはならないでしょ」とか、「その時代にそんなこと絶対ありえないでしょ」ってツッコまないのかしら?

人の感情の動きを無視した展開や、その時代の習慣や常識から考えて有り得ない展開は、観ていて全然共感できなくて、演じている俳優さんのことまで嫌いになってしまいます。あと、いくらメイク技術が発達したからといって、20代の子に老人の役をやらせたりするような、不自然な年の取らせ方をしちゃダメだと思う。

面白くないドラマで朝の準備がスムーズにできるようになるのはいいけれど、それだけでは気が済まないのが厄介なところで、ドラマで共感を得られないと、他の人がどう思ってるのか、知らずにはいられなくなること。この違和感は自分だけ感じる違和感なのか、それとも他の人も感じているのか、確かめずにはいられなくなるんですよね。だから、ネットに投稿されている感想を片っ端から読んで、そこで「やっぱりこの違和感は自分だけじゃなかったんだ!」と共感を得て、やっと納得する感じ。

不思議なもので、ドラマに素直に共感できてる時って、わざわざ感想投稿サイトを覗きに行くようなことはしないんですよ。ドラマが面白くないと、「みんなこれを観てどう思ってるんだろ?」と他人の意見が知りたくなる。投稿はしないものの、自分と同じ意見を目にするだけで安心するんですよね。人間って、最終的に共感が得られるまで、どこまでもその相手を探しに行くものなんでしょうか。ドラマで共感させてもらえると手間が省けてありがたいのですが。

そして今回の【わろてんか】。吉本新喜劇の笑いは嫌いじゃないので、楽しみにしていたけれど、全然吉本っぽくないし、これまでの展開を観る限り、どうやら「これは無理」っぽい。今回もまた文句を言いつつ一応ストーリーを追い、わざわざ腹を立てて、感想投稿サイトに行って納得、という少々面倒な手続きを踏んで、共感欲を満たしています。自分でも、「わざわざ観なくてもいいのに…」と思ってはいるのですが、コレはコレで結構楽しかったりして。