喪中ハガキの受け取り方が変わってきました

年賀状、書きましたか?
私はまだ。書くと言っても、出すのは毎年10枚にも満たないですけど。何と言うか、敵を作る性分でもないとは思うんですけど、人見知りの引っ込み思案で、すぐに人と親しくなれない。要するに友達が少ないってことです。

そんな私に届く年賀状は、出した枚数分だけ。
今年はその中の2人から、喪中ハガキが届きました。

1人は学生時代の同級生。お父様がお亡くなりになったと書いてありました。今年も何度かやりとりをしたのに、全然そんな事言ってなかった。私に余分な気遣いをさせないようにとの彼なりの優しさだったのかもしれないけど、そう言われれば、ちょっと様子がおかしかった時期があったのかも。平静を装おうとして、逆に言動が荒くなってたのかも。
それにしても、少し前までは「祖父が」とか「祖母が」だったのに、もう親の訃報を普通に聞く年代になったんだ、と、ちょっと寂しい気分になりました。

ショックだったのは、もう1枚。チラッと差出人の名字を見ると、以前勤めていた会社の同僚の女性の名字でした。彼女は同僚と言っても母親くらい年は離れていたのですが、入社は私より後だったので、年齢差もあまり関係なく親しくしていた女性でした。おっちょこちょいなくせに人並み外れたお節介で、人の心配ばかりして、私も何度お見合いを勧められそうになったことか。でもそのお節介が功を奏し、転職後は成績トップの営業マンとして活躍されていました。

「あ~〇〇さん、御身内が亡くなられたんだ」と文面を見て、目が止まりました。差出人はご主人で、亡くなったのは、彼女本人でした。11月に亡くなった、と書いてありました。あまりの衝撃に、少しの間動けなくなりました。

数年前、街で偶然見かけて声をかけたら、「一緒にお昼どう?嬉しいからご馳走するわ!」と半ば強引にレストランに引きずり込まれ、「これでいいわよね!」と一番高いランチセットを頼んでくれて。そのランチにはデザートだけじゃなくて、後日「ところでいい話があるんだけど、会ってみない?お医者様なんだけど」という電話もついてきて。相変わらずなお節介に困惑しながら、彼女らしいお節介を懐かしく感じたものです。

その時に、「私ちょっと痩せたでしょ?実はちょっと病気をしたんだけど・・・でも今はもう元気!」と言っていたのが思い出されます。いつも元気でおしゃべりな人だったから、こちらも勝手に「この人いつも元気だな」と思っていました。

今まで、こう言っては何ですが、喪中ハガキを事務的に受け取っていました。差出人にとっては身内が亡くなることは辛く悲しいことですが、私にとっては「知らない人」の訃報ばかりだったから。「じゃあ今年はこの人には出しちゃいけないな」くらいの受け取り方をしていました。

喪中ハガキがこんなにショックだったのは初めてです。これも年を取って、死に近づいたということなのかもしれません。年賀状にいつもの決まり文句、「またランチしましょうね!」と書けないことが寂しくて仕方ありません。