断腸の思いで20年前のスキーウェアを捨てる

断捨離。もはや言葉の説明も必要ないほど、一般的な言葉になりましたね。
最近では断捨離にとどまらず、ほぼ何も持たずに暮らすミニマリストと呼ばれる人も出現しているとか。何でもかんでも持っていたいと思う私には到底考えられない価値観ですが、何にもない方がいいなんて悟りを開いたようなことを言ってられるのも、結局ネットや周辺環境が整っているからこそ。まぁ豊かな時代なんだと思います。

私の住む部屋は、賃貸マンションには珍しく収納スペースが異常に充実しているので、多少溜めこんでも大丈夫。なはずなのですが、引っ越しから4年経ち、そうも言っていられなくなってきました。
私はいつも、安物買いの銭失い。服だって「安物だから」と適当に買ってしまうから、後になってほとんど着られなくなるものばかり。高価なモノは買う勇気がなくて躊躇するくせに、安いと平気でバンバン買っちゃうので、安物を買ったからといって節約にもならないのがダメなところです。我慢して吟味して、長く着られるモノを買った方が絶対にいいって分かっちゃいるんですけどね。

断捨離断捨離って張り切るのも、なんか宗教にハマッたみたいで嫌なのですが、ここらでいっちょスッキリしようと思い、不要なモノを整理することにしました。

しょせん安物なので、普段着を捨てるのは割と抵抗がありません。たとえ昔は気に入っていた服でも、「40過ぎてコレ着る?」と鏡を覗けば即決できます。

 

捨てたモノの中でいちばんやっかいだったのが、このスキーウェア。ご覧の通り、見るから時代遅れのダッサいウェア。かれこれ20年ほど前に2シーズンだけ着て、その後は全く着ていないものです。

男性用のMだから、サイズ的には今でも余裕で着られるのですが、さすがに今これを着る勇気はありません。つまり、自分でも今さら絶対に着ない、着たくないと思っているのに、今までずっと捨てられなかったということです。

大学時代、世はまさにスキーブームで、冬になれば毎週のようにスキー場に繰り出していました。バイト仲間で車に乗り合い夜中に出発、朝まで駐車場で仮眠、朝イチから夕方リフトが止まるまで滑って、その日のうちに帰って来るという、今では体力的に考えられない行程ですが、当時は道中も楽しく、全く平気でした。

私の場合は、「私をスキーに連れてって」的レジャースキーではなく、ただストイックに技術の向上を目指すスキーで、昼食以外は一日中ただひたすら滑っていました。男物のウェアを買ったのも、「カワイさ重視の甘っちょろい女性用ウェアなんて着てられるか!」という意思の表明でもありました。まぁ当時は、必要以上にイキッていた痛い女子だったと思います。これじゃあ当然ナンパもされません、わね。

この後すぐにスノーボードの勢力が強くなり、スキーではモーグルが流行り出し、みんながモーグル系のウェアを着だすと、このウェアが急にカッコ悪く感じて買い替えたと記憶しているのですが、このウェアを着ていた時が一番スキーに夢中になり、技術が上達した時でした。今から考えれば、あんなに自由な時間があった学生時代、スキー以外のことにも興味関心を持てば良かった、と後悔もしますが、それでもあんなにハマッて一生懸命になったのって後にも先にもスキー以外にはなく、「あの頃は楽しかったなぁ…」と、愛おしい思い出でもあり。

一言で言えば、青春時代ってことなのでしょう。つまり、このウェアは、自分の中で当時かけた金銭と情熱の象徴みたいなもので、だからいつまで経っても捨てられず、実家を出た時も、その後引っ越しした時も、どうしても手放せずにいたのでした。

ちなみに、何セットかあった板とブーツは、実家に置いたままにしていたら、定年退職後にやることがなく断捨離に勤しんでいた父に、間違って処分されていました。まぁ、ちょうどその時は私も仕事に忙しく(スキーに一緒に行っていた彼氏と別れて)スキーを中断していた時だったので、捨てられても仕方なかったのですが、かなり凹み、父を責めました。

そんなこんなで今までずっと持ち長らえてきたこのウェア、ようやく捨てる決心がつきました。あれから20年を経て、今の自分はただ、いつまでも20代のキラキラした自分を懐かしんでるだけのおばさんじゃないか、と気付いたのです。ようやく自分の現実を受け入れられるようになってきたのかもしれません。

思い出はモノに宿っている訳じゃないなんてことは、頭では解っているのです。捨てたからと言って、思い出を全て忘れてしまう訳ではないことも。でもやっぱり、気持ちはそんなにホイホイついていかないんですけどね。そんな思いもあって、供養の意味も込めて、この文章を書いていたりなんかして。

それでも不思議なことに、いざ捨てて、その分余裕ができたクローゼットを見ると、爽快感もあるんですよね。達成感というか。これが多分、断捨離の教えが大事にしているポイントなのかな。モノと向き合いながら、同時に執着やら後悔やらと向き合って、それらに折り合いをつけていくことなのでしょうかね。
クローゼットの中は、まだまだ、執着だらけですが。