食器にこだわってみること

 

これも年齢と関係あるのでしょうか。ここ数年、器を見るとすぐに買ってしまいます。先日も、フラリと立ち寄ったお店で美濃焼の器を爆買いしてしまいました。



昔は、食器にお金をかけるなんてこと、考えてもみませんでした。とりあえずお金をかけるべきは、他人の目に触れるもの、他人とのやり取りに関すること。服や靴、飲み代など、外面を良くするためだけにつぎ込んでいました。

でもそれが楽しいから、という訳でもなく、いつの場合もとにかく自分が浮いて見えないか、おかしく思われないか、嫌な奴だと思われないかと、他人の目を気にしていただけ。

そんなことばかりに気を取られていたから、家の中のことを考える余裕など、キモチ的にも金銭的にもありませんでした。結果、家の中のことは後回し。散らかっていても、ダサくても、「誰に見られるワケもなし、まぁいっか」と思っていました。

だから、一人暮らしを始めるにあたって、食器やキッチン小物を揃えたのは100円ショップ。そうは言っても、安ければ何でもいいという訳ではなくて、できるだけ色やテイストを揃えたり、それなりに見えるものを選んだり、とせめてもの悪あがきはしていたのですが。

そのうちに、次第に100円ショップのものでは満足できなくなりました。雑貨店で頻繁に器やキッチン小物を買うようになり、ついには作家モノにまで手を出してしまうほどに。食べる事にまつわるモノは、見るとつい欲しくなっちゃうんですよね。

最初は「私のテキトーな料理にいい器を使うなんて、もったいなくてバチが当たる」と思っていたのですが、いい器に盛ると、テキトー料理でもそれなりに見えてくる。むしろテキトー料理こそ、いい器を使うべき、と言えるほど。器にしてみれば気の毒な話ですが、1人メシがグレードアップするワケですよ。

「誰が見るわけでもなし」と思っていたのが、実は「自分自身が見ている」ってところがとっても大事なようなのです。「私も結構やるじゃん?」って思えるんですよね。ただの自画自賛なんですが。

1人暮らしも長くなると、日々の生活のあらゆるシーンで自画自賛することって実はとても意味のあることだと思っています。そこに客観的な評価は必要なく、大事なのは自分が快い気分になること、自分の目に好ましい景色を見せてやること。

日常的に他人に引け目を感じることが多々ある身には、ちゃんと日々の生活を送れているというだけのことが、生きていくための大きな自信になるのです。逆に、惨めな思いをした時に惨めな暮らしをしていると、立ち直れない。

器にしても、家族の人数分揃えるとなればおいそれと買えませんが、1人暮らしなら数を揃える必要もないので、多少高くても手が出しやすい。1人暮らしだからできることでもあるんですよね。

そうは言っても、今も他人の目は気になるし、常に自信なんて持てないし、逆に「もうちょっと外見に気を遣えよ」って言われるかもしれないんですが。相変わらず、自分の料理の腕もセンスも少しも上がらないし。

でも、100円から10,000円超えの器が同時に並ぶ食卓は、なかなか面白くて気に入っています。